続・岡田准一氏におけるV6業と俳優業について思うこと

私は以前こんな記事を書いた。

要約すると、「岡田くんが俳優として成功すればするほど不安になる。俳優業のためにビジュアルを気にしなくなっているのも悲しい。V6の岡田くんが見たい。」という話。 今年の春、岡田くんがエベレストから帰ってきた頃に書いた。

20周年Yearの今年は雑誌はパンフレットでいろいろ語ってくれた。そして私は気付いた。上に書いた、私の長年の不安の原因。

 

岡 田 く ん の 反 抗 期

 

私のモヤモヤの原因、この一言で納得できる。何年も、私が勝手に岡田くんの反抗期を真に受けて、振り回されて、悩んだり悲しくなったりしてただけだった~!

今年、いろいろなところで岡田くんの反抗期について語られている。

簡単に言うと、22歳(2003年頃) の時の中居くんのとの会話をきっかけにいろいろ考え始めて(この件以外にも理由はあると思うけど...)、2005年頃に反抗期に突入、2008年頃に健ちゃんに「アイドルとして誇りを持ってくれ」と言われた。以下参考資料。

僕は芝居の方に気持ちがずっと行った時期がありまして、それを言ってメンバーも許してくれましたし、応援してくださるみなさまも許してくれながらでした。*1

・20周年を振り返って思うのは、10年目のとき、俺は反抗期を迎えていたんだなってこと(笑)*2

・愛おしいってさっき言ったけど、俺は反抗期が長くて。そう思えるようになったの、ここ2年くらい*3

・22歳くらいの時に中居くんの番組に出て合間にお話した時「俺司会に命かけてるから」って聞いたんです-(中略)-そこから自分には命を懸けられるものがあるかって考えはじめて、芝居を頑張りたいという考えにたどり着いて。-(中略)-。その後、クリエイター志向が膨らんで反抗期に突入するんですけど(笑)*4

・悩んでいた時期もあったし、メンバーから"アイドルとして誇りを持ってくれ"と言われたこともありました。*5

・"アイドルとして誇りを持ってくれ"って言われたこと。いつごろかなあ?13年目くらい。僕が反抗期だったころ(笑)-(中略)-その時に健くんに言われて...メンバーに言わせる言葉ではないなって。そこまで言わせたことを反省しました。*6

これはほんの一部。反抗期という単語を使っていなくても、パンフレットや雑誌で当時の状態や気持ちなどを語ってくれている。私は、雑誌のテキストなどは編集でどう手を加えられているのか分からないし、いつも話半分くらいで聞くようにしているのだけれど、今回この件についてはあらゆるところで語られているので、手を加えられていない岡田くんの口から出た事実として受け止めている。

ここからは私の話。私の感情の話。

岡田くんがV6から気持ちが離れていると私が強く感じたのは2007年から2008年。2006年にさしのみ*7で、「20歳になったらこの仕事をやめようと決めていた。木更津キャッツアイと出会って変わった。」と言っていたが、この時は「へ~」くらいにしか思わなかった。それよりも、高校の時に1つ年上の先輩と付き合っていたって話が衝撃的だったのを覚えてる。聞きたくなかった。20歳でやめようと思ったけど乗り越えてここまでやっているという話のときに「女性もあるかもしれないけど。」と言ったのも地味に打撃を受けた。みのさん、岡田くんが童貞を捨てたときの話とか聞こうとしていて、そこまで知りたくないよ・・・!って思いながら見ていた懐かしい思い出。当時私は19歳。ちなみにこの時に「10代の時はアイドルという肩書が嫌で役者って呼ばれたいと思っていたけど、岡田准一というのがあれば肩書なんてどうでも良いと思うようになった」と言っている。

2007年の終わり頃から2008年に出演していたドラマ「SP」で何かを得たのか、何かが変わった様に当時の私は感じた。以前の記事にもある程度書いたが、陰日向に咲くの宣伝で出たZEROでのやりとり。

村尾キャスター:役者としても素晴らしい。一方で歌手としても活躍されてるし。これからどっちかに軸足を置こうかなんて考えているんですか。」

岡田:うーん、昔から好きなのはお芝居ですね。はい。個人的に。でもいろんなことをやることによって芝居に役立つことが沢山、グループで経験していた踊りだったりとか、っていうのは体を使えるとか、フォーメーションを組むっていうのはものすごく、カメラとの距離感だったり、いろんなことに役立っていることが多いので、まだ若いのでどんどん経験はしたいなあとは思っています。

この時のショックは忘れられない。V6は俳優をやるためのツールのようなもんだと言っているように感じた。この頃、この番組だけでなく、芝居の方に気持ちが言っているというのはいろいろなところで感じていた。肩書なんてどうでも良いと思うようになったと言っていたときの本心は分からないけれど、この時は「俳優:岡田准一」になりたいのかなと一ファンである私でも感じた。SPを恨んだ(無意味なのは分かってる)。この時期にいろいろ良くないことを感じたのは、陰日向に咲くのビジュアルもあったかもしれない。 

反抗期に突入したらしい2005年頃は、私は特に感じなかった。その頃は岡田くんはビジュアル絶頂期で、とにかく私は岡田くんの顔が好きで、映画も2本公開(2本ともビジュアル最強の2004年撮影)、10周年のイベントも沢山あったし、握手もしたし、初めてのVコンもこの年だし、学校へ行こうVシュランも充実していて、岡田くんが生きているだけで幸せ~!好きー!くらいにしか思っていなかったんだと思う。MCであまり話していなかったとか、ふざけてるメンバーを少し離れたところから見ていたとかはあるけれど、私はそういうタイプの人が好きだから問題なかった。

岡田くんに対してどこか違和感を感じた頃。岡田くん、なんか反抗してるね。お芝居の仕事もどんどん増えてきてるし、そーゆー時期なのかな、そのうち気持ちも戻ってくるだろうから見守っとこう。なんて思えなかった。岡田くんの反抗期、岡田くんより6歳も年下の私には分からなかった。岡田くんがV6やめて俳優になっちゃったらどうしよう~って本気で思ったことも何度かある。俳優として地位を確立していく岡田くんに、「岡田くん、良かったね」とは思っていたけど、心の底から喜んでいたわけではない。俳優として成功するればするほど、不安は大きくなっていった。

そんな不安も、コンサートに行けばなくなっていた。反抗期だったのかもしれないけれど、V6に気持ちが向いていなかったのかもしれないけれど、岡田くんはコンサートやテレビ番組で嫌々やっていたとか手を抜いていたとかはない。私の見ている限りでは。演じていたのかもしれないけれど、それでも演じてるなーなんて思わなかった。相変わらずMCで話さないとかあったけど、それは反抗期でなくたって好きな相手にだってそういうときあるし、少し離れたところから愛おしそうにメンバーを見てる岡田くんのことが好きだった。コンサートに行けば、末っ子として可愛がられていて、今より遠慮がちにだけどその空間を楽しんでいた岡田くんを見れたから大丈夫だった。その頃に健ちゃんに「アイドルとして誇りをもってくれ」って言われていたみたいだから、いろいろあったんだと思うけれど、少なくとも私はコンサートでV6としての岡田くんを見ていたときは違和感はなかったと思う。

そんな状態で、俳優業とV6業を両立してくれていれば問題なかったけど、でも2008年に学校へ行こう、2010年にVシュランミッションV6*8が終わってからは、V6の姿を見る機会も減った。コンサートも毎年やらなくなって、一方岡田くんは俳優としてどんどん大きくなっていった。寂しかった。

2011年の秋のセクバニコンから1年半空いてOMGコンがあって、V6の岡田くんに会える~!って喜んだのに、あんなことになって*9、それからずっとコンサートなくて、その間に永遠の0や大河やアカデミー賞があって俳優としてどんどん結果を残して認められて、今年はV6いっぱいだぞーと楽しみにしていた20周年Year入った途端にエベレスト行って髭もじゃの山男になって帰ってきて。その時に前回の記事を書いた。今年くらいV6に集中してよ~!って思ってた。

そして、岡田くんがエベレストから帰ってきた春以降、露出がすごかった。ここ5年くらいはテレビでV6を見ることなんて年に数えるくらいしかなかったのに、テレビも雑誌も6人でじゃんじゃん出てくれた。嬉しかった。楽しかった。岡田くんは楽しそうだし、メンバー(と、かわいい後輩)が大好きなのを惜しげもなく出してくれてるし、なんだかもう私の不安はなんだったのか。この2年半、V6としての岡田くんが少なくて、俳優としての岡田くんがすごくなってて、「岡田くんはアイドルじゃなくて俳優だねー」なんて周りにもよく言われるようになって、ナイーブになってただけだったみたいだ。

そして、反抗期だったこと、健ちゃんに言われた件のことなど沢山語ってくれた。いろいろな番組にも出て、V6で楽しそうにしている姿、V6にいて安心している姿、V6に愛されている姿、V6を愛している姿を沢山みて、私の不安はどんどん減っていった。

SONGSで「俺は岡田の背負ってるものは分からないけど、V6にいる時くらいは何も考えず笑っていてほしい」という剛くんの言葉を聞いて岡田くんは目に涙を浮かべていた。私も泣いた。不安はほぼなくなっていた。

24時間テレビ高倉健さんへ宛てた手紙で岡田くんは「僕が五人の仲間と歌うことで」というフレーズを入れてくれた。俳優岡田准一としての仕事だったであろう高倉健さんのコーナーで、岡田くんはV6のメンバーのことを話してくれた。このフレーズは入れなくたって大丈夫だったと思う。その前の「僕が役を演じることで、」だけでも良かった。私はこれを聞いて、岡田くんに対して不安だった気持ち、寂しいと思っていた気持ちが完全になくなった。

 

ビジュアルについても、以下のように語っている。

・役のために太ったり痩せたりしますし、時には“こんなオカダはイヤだ”みたいな文句など、いろいろとあるでしょうけど(笑)*10

・役柄によって風貌が変わっていって、迷惑を掛けてますが(笑)、見守ってくれて感謝しています。これからも変わると思いますが、僕はV6を愛しているので、理解してもらえたらうれしいです....*11 

私が岡田くんのビジュアルにこだわってることを分かった上で、岡田くんがその役がやりたい、そのためにビジュアルを変えようって思うなら、受け入れる。応援する。岡田くんがこう考えていることを知った後に、海賊とよばれた男のビジュアル見て、ギャーーー!!(涙)ってなったからまだまだ修行が必要だけど...

 

今年聞いた1番好きなエピソード 

コンサートのリハーサルで長野くんと隣同士になると嬉しくて、僕が「また隣だね!嬉しいね!」と言うと、長野くんも嬉しそうな顔をして僕のお尻を叩いてくれたりします。*12

確かに前の方がかっこいい。大好きな顔だった。あの当時の岡田くんより美しくてかっこいい人なんていないと思う。当時の岡田くんを見ると何度でも恋に落ちる。今はだいぶ風貌が変わった。でも、私は長野くんが隣で嬉しくってたまらない岡田くんや、「健ちゃんかわいいかわいい。」「健ちゃんは僕のこと大好きだから!」と言ってメンバーときゃっきゃしている今の岡田くんが大好き。

 

気付けなかったんだ 若さのせいかな 目の前の情熱で 互いの優しさが見えなくて

僕を変えてくれた人 優しさを教えてくれた人*13

最近、6人で踊っていると、安心感があります。なんか、僕が周りを見れるようになったのか、これまでは気づけなかったのか、よくわからないんですけど、きっと、僕が見えてなかっただけなんでしょうね。この安心感が、いいです。この感覚を大切にして、ライブに臨めたらいいなと思っています。*14

 

私は、来年からまたV6としてあまり活動しなくなっても、役作りであまり好みじゃないビジュアルになったとしても、もう、不安になったりしない。 

 

*1:アカデミー賞セレモニー後の会見

*2:オリスタ8/10号

*3:別冊カドカワ

*4:別冊カドカワ

*5:anan8/5号

*6:Wink up 2015年10月号、いのちゃんから岡田くんへの質問"これまでのメンバーの言葉で、印象に残っているものってありますか?"

*7:みのさんとお酒を飲みながら語る番組

*8:学校へ行こう終了後から始まったTBS深夜枠の冠番組。クマグスミッションV6→ヘンサーチ→ガチャガチャV6→アメージパングとカタチを変えながらも続いている枠。ミッションV6以外は素人中心の番組でつまらないしV6も動かないからほぼ見ていない。先日、学校へ行こう2015反省会をやってくれたときに、この枠があることを感謝した。

*9:2年半経ってやっと、OMGコンの苦しみから解放された - ネコとパン屋参照

*10:ananオカダのジショ11/18号

*11:2015年ツアーパンフP152

*12:ananオカダのジショ9月発売。正確な日付不明。

*13:~此処から~ 岡田くん作詞部分

*14:2015年ツアーパンフレットP127