岡田准一氏から中島裕翔氏に担降りになるかもしれないと動揺している話

担降りブログ。見るだけだと思っていた担降りブログ...まさか書こうとしているなんて。他の方の担降りブログを読んでいたら私も書いてみたくなってわざわざブログを作ってしまった。何年振りだろうかジャニヲタブログ作るの。はてなブログ当時とだいぶ変わったなあ。ちなみにブログ名に特に深い意味はない。*1

みなさん長々と書いていらっしゃるが私もきっとそうなる。なぜなら10年以上に及ぶ私と岡田氏とのラブストーリー。ところどころいろんな男に浮気もした。そしてまさかの相手に心揺さぶれられる現在を書かなくてはならないのだ。長くなるに決まっている。

そもそも私はジャニヲタだけど『担当』という言葉を使っていない。なんとなく使っていない。スマホと言う単語を使いたくないのと似たような感覚。「岡田くんが 好き」と長ったらしい言い方をしている。でもたまに「未来の自担は~」とか 言っているので、抵抗があるのかないのか微妙なところである。そして担降りと 言う感覚もあまりなかった。好きだったけど応援しなくなるとかは経験がある が、誰かを応援するために、それまでの人から降りるって感覚はなくて「別に何人いてもいいじゃん」と思っている。

使っていなくても私は10年以上所謂【岡田担】です。でした?どっちだ。いつどのタイミングで好きになったか覚えていないけど*2、とにかくずっと岡田准一と言う絶対的な存在がいた。初めて彼を生で見たのは2005年11月1日 のデビュー10周年イベントだ。友達が連れてってくれた。初めての生岡田氏、V6 と一緒に学校へ行こうを見ると言う夢のような時間だった。その数日後、10周年記念握手会に行った。私は自分から告白したことがなかった。そんな私が岡田氏 の手を握り見つめられながら「好きです」と言った。私の人生で、唯一自分から 自分の気持ちを伝えた男性が岡田氏である。ちなみにこの時二周したが2回目は 少し余裕もあったこともあり、なかなかいいリアクションをもらった。目の前で見たあのはにかみ笑顔は忘れない。その後、10周年コンサートも友達に連れて行ってもらい、その後FCに入った。

ちょうどその頃、私は赤西仁に夢中だった。2004→2005年のカウコンで堕ちたの だ。その後すぐに『ごくせん』が始まり、そのまま『anego』や世の中のKAT-TUN ブームもあり、とにかく夢中だった。2年間くらいはお金も熱量も赤西氏の方が 多く注いでいたような気がするが、それでも私は【岡田担】だった。もしくは 【岡田担で仁担】だったのかも。だから、掛け持ちも全然OKである。まあ赤西氏に関しては思うところがいろいろあり、2008年まではコンサートも行っていたがその後は行っていないし、脱退騒動の時には「へ~」ぐらいにしか思わなかった 記憶がある。

この期間、2008年ごろまでは時間もお金もあったので、他にもいろいろあった。 いろいろ好きになって現場も沢山行き、大して好きでもない人のコンサートも行き、ジャニヲタライフを楽しんでいた。

その後は私の生活が大きく変わり、時間とお金をあまりかけられなくなった。遠征も行かなくなったし、岡田氏主演の映画すら観に行っていない作品がいくつかある。テレビと、Vコンあれば3回くらい、後は毎年友人が連れて行ってくれる SHOCK、こんな感じで落ち着いた。他のグループのコンサートなどを我慢しているという感覚はなかったので、もう彼らのことは何とも思っていなかったんだと思う。このゆるい感じが心地よかった。

SPの頃からか、岡田氏の体がどんどん大きくなった。私はムキムキは好きじゃな いので、やめてー!と思っていたが、そんな私の気持ちは届かず、彼はよく分からない格闘技だか武術のインストラクターにまでなっていた。岡田氏ビジュ アル絶頂期*3を終え、さらにどんどんムキムキになっていったが、それでも好きだった。ときめきはあまりなかったが、崇拝しているような感じだったんだと思う。

私はV6の中にいる岡田氏が何よりも好きだっが、V6の活動ペースはどんどん落ち、コンサートも1年半-2年おきになり、新曲もほとんど出さず、映画ばかりになった*4。2013年に関しては久しぶりのコンサートですごく楽しみにしていたのだが、Supernovaのあの演出であまり楽しめなかった。代々木最終日に関しては、岡田氏のファンが当たったと言うのもあり、家に帰って号泣してオットに引かれた。この時「私は岡田くんのことが本当に好きなのかもしれない」と思った。

映画の題材も私が見ないジャンルのものが多かった*5大河ドラマの主演が決まったときも、翌年のコンサートがないことにショックを受けたが、本人が喜んでいるから、やっぱり嬉しかった。初めて大河ドラマを全部見た。苦手な戦争映画(永遠の0)も見た。愛のチカラは偉大だと思った。

こんな風に、そこまで熱量はなくても*6、岡田氏は私の中で絶対的な人だった。岡田氏が寵愛する福士くんや桃李くん染谷くんのことも応援していた。岡田氏が好きな子たちだから、それだけの理由で。アカデミー賞も、俳優岡田准一よりV6岡田准一を求めている私にとっては正直そんなに大きなことではなかったが、岡田くん最優秀賞取ったら嬉しいんだろうなと思ったから取ってほしかった。そして 取ったとき心の底から「良かったねえ」と思った。岡田氏が好きなものは好き、 岡田氏が幸せなら私も幸せという、完全な岡田信者である。 とにかくこの約10年、浮気は沢山したし、岡田氏がどんどんムキムキになっても 【岡田担】だったのだ。そしてそれはずっとこれからも続くと思っていた。

 

そして2015年。待ちに待ったV6の20周年Yearの幕開けである。号泣したあのコンサートを早く上書きしたかった。今年は久しぶりに遠征もしようと思っていた。

なのに、どうやら私は中島裕翔に堕ちたらしい。

私と裕翔の出会いはこれまた10年前くらいだったと思う。当時KAT-TUNが好きでジュニアの番組を見ていたので、やたら推されているちびっこ裕翔のこともよく見ていた。何より『野ブタをプロデュース』の印象が強かった。とにかく可愛くて可愛くて、私と亀ちゃんの年齢が近いこともあり、裕翔は私の中で勝手に弟みたいな存在になっていた。

じゃんぷの子達は、ほとんどの子が小さいころから知っていたので親心のような気持ちで応援していた。中でも裕翔のことは特別応援していた。私の頭の中の裕翔は野ブタの浩二くんなので歌番組やドラマで見るたびに「大きくなったわねえ」と思っていた。まあこの辺じゃんぷちゃんの露出少なかったから新曲の歌番組とドラマくらいなんだけども。ドラマも裕翔目当てではないので最初から見ていないものも、途中で脱落したものもいくつかある。

初めて『SUPER DELICATE』を見たとき、こんなきれいなダンスが出来るのかと感激した。そこから少しちゃんと注目するようになった。『Come On A My House』は初めて見たときから大好きだった。「じゃんぷ!じゃんぷ!ってやりたいコンサート行きたい!」と言っていた。ジャニヲタ友達とカラオケに行けば1番初めに歌う曲になった。とにかくその頃からじゃんぷちゃんを見るのが楽しくてたまらなかった。『SUPER DELICATE』『Come On A My House』『明日へのYell*7』、クリスマスソングinディズニーシーは何度リピートしたのか分からない。「また見てるのか」とオットに何度言われたか。ちょうどVコンもなく官兵衛の期間である。私はキラキラアイドルを求めていたんだと思う。でも「でも特別誰のファンてわけじゃないのよね~誰を特に応援しているかと言えばやっぱり裕翔だけど~」くらいだった。

そんなことをしていたら、鷲尾くんだ。私は堺雅人が苦手で半沢直樹を見ていなかったので*8、初めてのサラリーマン裕翔である。高校生役(水球ヤンキース)も出来て、サラリーマン役も出来て、こうやって沢山出させてもらっていいねってやっぱり親心で見ていた。キスシーンも「わぁ~大人になっちゃって~」とやっぱり親心で見ていた。

でも鷲尾くんはどんどん私の中に入っていった。途中から「録画したデート消さなきゃ良かった」と思っていた。デートの翌日は鷲尾くんだか裕翔のことを考えてニヤニヤしていた。私は大体製作者側が用意した「こーゆー男の子好きでしょ?」ってのを好きになりやすい。最近だとラストシンデレラの春馬くんとか今日は会社休みますの福士くんとか。でもいつもドラマが終わるとすぐブームも終わるのだが、ジャニーズはそうもいかない。おそるべし。ちなみにこのテの役を早く三浦翔平にやってもらいたいと思っている。私は彼の顔がとても好きだ。

その頃smartコンのDVDが発売されていた。見たくてパートの先輩(娘さんが山田担)に聞いてみたら貸してくれた。ちなみにその娘さんには『昔の山田くんの映像あげるから貸してください』と長々と手紙を書いた。中学生相手に。そしてお礼としてデビュー前からの山田くんの映像をかき集め、DVDを作った。友人の協力もありブルーレイ3枚組の超大作になった。

3月の最初、一晩オットがいない日があり、友人が遊びに来てくれてsmartコンを一緒に見た。その日はdisk1のみだったので特に平和に終わった。ちなみにその日、友人とは朝までじゃんぷちゃんの歴史を振り返る会*9をやっていた。途中一度いつだかの裕翔を見て「かっこいい」と私が発言したら友人に「裕翔きた!?」みたいなことを言われたが「いやいや」と否定していた。(意地張ったわけではなく)

この友人は小学校からの友人でジャニヲタである。私のこの10年のジャニ活動のほとんどを彼女と一緒にしていた。彼女は「未来の自担は八乙女光」と言っていて、私にもよく「〇月〇日にじゃんぷちゃんが〇〇に出るから!きっと可愛いよ!」と私が好きそうで且つ私がチェックしていなさそうな番組を教えてくれていた。

約10年間、裕翔の事を考えるといつまでも野ブタの浩二くんが出てきていたのだが、この頃いきなり10年分更新されて現在の裕翔になった。

そして私は3/10にこんなツイートをしている。

その翌週はこうだ。もう結構きていた。

そして友人と一緒に見てた時にはdisk1のみでしかも流し見だったsmartコンをゆっくり見てみた。disk1の横アリ公演はやっぱり持ちこたえた。が、問題はdisk2のドーム公演だった。黒髪だったのだ....すっかりハンサム*10になった裕翔が時にかっこよく時に可愛く歌って踊い何より楽しそうにしている姿を見て崩れ落ちてしまったのである。

もう完全に堕ちている。と言うかオット相手に何言ってるんだ私。寝起きで混乱していたんだと思う。こうやってもう認めたも同然な状況だったけどそれでも抵抗していた。理由はいくつかあって、1つはせっかく今穏やかにVヲタをやっていてまあ他グループもテレビで楽しむ程度だったものがまたジャニヲタに戻るのかってこと。2つ目は今まで(勝手に)弟のように可愛い可愛いと可愛がっていた裕翔に対してこんな風に心動かされてる自分への動揺。恥ずかしさ。そして3つ目は「担降り」って単語が頭をよぎったこと。今までいろんな人を好きになったが、その考えはなかった。常に岡田氏が1番でずっと私の中心だった。その単語が頭をよぎったことにものすごく動揺している。岡田氏より好きな人なんてできるはずないと思っていたから。

本当はもう少し様子を見たかったのだが今年のじゃんぷコンの発表がされ行かないで後悔はしたくないとFC入会。Vコン貯金の中の5000円をあっさりじゃんぷちゃんに使ってしまった。そして上記の彼女も同時ににFCに入った。「未来の自担でなく近未来の自担はやおとめくん」と言いながら。彼女の存在はとても大きい。いいトシした2人で「裕翔は大人っぽい役多いし大丈夫!」「ひかるは24歳だよ!20代半ばだから大丈夫!」と励ましあっている。

ちなみに上のツイートにもあるが私の未来の自担はSexy Zone中島健人だと思っていた。そのうち好きになる気がすると思って少し準備もしていた。まさかの中島違いである。

FCに入ったんだからもう開き直って裕翔バカになろうとも思うのだがやはりまだ動揺している。21歳て。初めての年下。しかも1歳や2歳ではない。岡田くんとの差13歳。子供だと思ってたのに。こんなにも心動かされるなんて。と言いつつ、今まで見なかったリトルトーキョーライブを見てラジオまで聞いている姿に「そんなに好きなのか」とオットに引かれている。(ほっといて~)

私の中で『担当』の定義は...なんだろう。一番お金と時間を使いたい人?実はよく分かっていない。担降りなのかそうでないのか掛け持ちなのかは今の段階では分からない(担降りだからとV6行かなくなると言うことはないけども)。岡田くんみたいにずっとかもしれないし、他の人みたいに数か月~数年で落ち着くかもしれない。とりあえず秋のコンサートに行って様子を見てみようと思っていたが昨夜まさかの24時間テレビのメインパーソナリティー決定で吐きそうなレベルで動揺している。この話についてはまた後日。

 

ちなみにここに引用しているTwitterは、プロフィールのところのフォローボタンとは違うアカウントです。本文中の方はジャニヲタじゃない人との繋がりが多くてあまり残念なことツイートできないので*11、今回の件でもう1つ作りました。フォローしてくださるのであれば、本文中のではなくプロフィールのところのフォローボタンからの方がいいかと思います~。

*1:好きなものをいくつか様々なパターンで組み合わせて1番しっくりきたのがこれ

*2:高校生の時のクラTには私が 岡田好きであること書かれてたから高校生だか中学生の時かと

*3:2003-2007くらい?

*4:実際はそこそこ活動しているが私の中の感覚的に

*5:図書館戦争は大好き

*6:テレビに出演すれば全部保存だしCMもほぼ捕獲しているので普通の人から見れば十分熱狂的なのかな

*7:世間的にはウィークエンダーの方が人気みたいだが、私はこっち派。裕翔センターで嬉しかったし、水球ヤンキース好きだったし曲もこっちの方が好き

*8:つい最近裕翔の出ている大阪編だけ見た

*9:過去映像をひたすら見る

*10:かっこいいと言うよりハンサムの方がしっくりくる

*11:もう手遅れかもだが